消えない虚しさ

仕事をして、仕事そのものにやりがいもあるし、意欲もある。家族とは良好で犬もかわいい。友達とはしばらく会えていないけれど、合えば楽しいし、信頼できる人ばかりだ。

 

なのに、

 

なのになぜか、悲しいというか、むなしいというか、そういう気持ちに包まれる事がある。こうやって日々積み重ねていって、頑張り続けて、どれだけ楽しくても、どれだけお金を稼いでも、いつかはいなくなる。いま手に持っているものをどれだけ守ろうとしたって、なくなるときはなくなる。この思いは色んなものと手に入れて、満足すれば消えるのかと思ってたけど、全然消えない。

 

仕方ないので、最近写経している。

若い頃と若い人 歳を重ねて見える景色

20代、自分には何も持ってるものがなくて、少し何かを指摘されただけで、自分に存在価値がないんじゃないかと心臓が口から飛び出るかと思うようなことが毎日のようにあった。自分には価値がないし、自信がなさすぎて、”なんで私にできることをあの人はできないのだろう”と傲慢になってみたり、私なんて、とやたら消極的になったりしていた。

自分の意見が尊重されないことを知っていたから、意見なんてそんなに言わなかったし、言わないでいたら自分に意見があることすら忘れそうになった。そうやっていたら消極的って言われて、それまで意見を言って来なかったから、経験が少なすぎて失敗ばっかりした。

自分のことを尊重できないでいたら、しまいには周りの人に尊重されない環境に流れ着いて、鬱を患った。そうやって進んできたら、いつの間にか今になっていた。

キャリアだけ見れば結構面白いキャリアだし、経験も積んできたし、できることだってうんと増えた。はたから見れば、幸せに暮らしている。持っているものは持っているのだけれど、それまでの一日一日はずっとうじうじモヤモヤしていた。

 

最近若い人と仕事をしたり話をしたりすることがあるのだけれど、時代が変わった、とおもう。周りの人達から尊重され、丁寧に扱われ、意見を聞いてもらい、のびのびと働き、周りにも認められ、成果を出していく彼らを見ていると、なんだか寂しいような、妬ましいような、でも、時代が変わったことが嬉しいような、私達が少しずつ変えてきたこの世界が誇らしいような、そんな気持ちになる。この微妙でほろ苦い気持ちは、こんなところに書いておくくらいしかできない。大人だから。私よりも若い人に、そんな愚痴は言えないし、言いたくない。

 

こればっかりは歳を重ねて経験を重ねてこないと見えなかった景色で、これから先も、その時の私でしか見れないものがあると思うと、ちょっとだけ先が楽しみになるし、希望も湧いてくる。

自分にMVP

会社に表彰制度ってありますか?うちの会社は部署ごとに毎月MVPを発表して金一封を貰える制度があるんですけどね。私ですか?その度モヤモヤしてます。あはは。

先日なんて、私と同期入社のわたしよりもうんと経験の少ない同僚がもらってて、相当モヤモヤして、次こそは私も!と奮起…はできなかった…。ちょっと凹みました。

ま、凹んでても仕方ないんで、「私が私にMVPを出せるかどうか」の方を大切に生きたほうが建設的よね、と開き直って、今度からMVP発表のときはWeb会議から退出すりゃいいんじゃね?などと思ったりしています。

 

どうしても誰かから認められることを目標にしてしまいがちです。誰かと比べて、いいとか悪いとか、考えるだけ無駄なことは重々わかってるんですけど、気づくと心が動いちゃってるんですよねー。自動的な思考ってこびりついてる。

考えることは自分のことだけにする。自分がどれだけ会社や組織に貢献したか、自分のほしい経験が得られたか、自分の目標に近づけたか、新しいチャレンジがあったか。そして目の前のことに集中すると、とりあえず目の前のことは片付いて形になります。できたこと、行動したことだけが私を作っていくんですよね。

 

みんなスタートが違うし、それぞれの性格や環境は違うし、違っていて当然。歳が上でも下でも、みーんなスタートが違うんだから、それぞれのペースでやるしかないよね。

人の話はよく聞こう

1番がっかりくるのは、女性差別に遭遇した時女性の先輩に愚痴った、「そんなの良くあることだから適当にあしらっておけばいい」と「私なんかもう図太くなって、そんなの言ってくる方が馬鹿なんだから、って心の中で笑ってるわよー」とか答えられることだ。残念なことに私よりも1世代上の女性に女性蔑視の話をすると、殆どがこのパターンになる。

 

結局、まぁ若い頃は色々大変だったけど、笑って放っておくのが女の嗜み、みたいなのがうっすら透けて見える。私たちの頃はもっと大変だったのよー、という話で労ってほしいのかもしれない。それは、お疲れ様でした。その頃の多くの女性には黙る、耐える以外の手段はなかったのだろうし、そうやって耐えてきて、過剰適応して、それはそれは大変なことだったんだろうな。

だから、年配の女性の先輩には若い人たちが受けるマイクロアグレッションのことはわからないし、取るに足らないことで、それよりも私の話を聞いてよって感じなんだと思う。

 

私はお決まりのパターンになってしまうと、大変でしたね〜と逆に先輩の話を聞いて、その話は終了してしまう。最近はそういう話をすることすらやめた。愚痴の聞き役はもっぱら夫だ。

 

私は前の職場でセクシストの上司にパワハラを受け、もうどうにもそこで働きたくなくなって、逃げ出すようにやめた。今は一緒に働くほとんどの人が外国出身で、男性ばかりの職場でも失礼なことを言われる心配がなくなり、平穏に働いている。

でもなんとなく、後ろめたく感じることも多い。とことんセクシスト達と戦って後進に貢献できたんじゃないだろうか。そんな気持ちになる。

 

私が女性の先輩から感じる違和感や傷つけられた経験を下の世代にはさせたくないなと思う。でもきっと私も今の段階で誰かをすごく傷つけたりしてるんだろうなぁ。他人に対しての共感というか、理解というか、つまり人の話をよく聞こうな、と今日は思いました。

 

終わり