妊娠して奪われたものとは

妊娠は幸せなことだ。

赤ちゃんが健康に健やかにお腹の中で育っているの何よりだ。

妊婦は母性が目覚めてお腹の赤ちゃんが愛しくてお腹をさすさすしている。

身ごもるとお母さんの顔になって優しいオーラが出てくる

私もなんとなくそんなイメージがあった。あったのに。

 

一人の女性として、経済的に自立して男性と肩を並べてバリバリ仕事をしてきて、仕事の面で女性として不公平を感じることはあっても、どこまでも私個人のことだと思っていました。

でもなぜか、妊娠してバッグに”赤ちゃんがいます”のマタニティマークを付けるようになってから。周りに妊娠を伝えてから。お腹が大きくなってきて周りから見て妊娠をしていると明らかにわかる頃から。自分という個人が消えてしまって、妊婦というよくわからないカテゴリーの生物になってしまった気がして、すごく戸惑いました。

 

妊娠をしてから、あれよあれよとつわりが始まり、形容し難い辛さに苦しんで、自分の明日の体調もわからないし、いつ終わるのか、いつ元の体調のいい状態に戻れるのかも全くわからない暗闇の日々が続きました。

同僚や会う人に「体調はどうですか」と必ず聞かれるので、「これこれこうで、本当に辛くて…」みたいに答えると、必ず「赤ちゃんは順調なんでしょう?」と聞きかえされました。「それはそうなんですけど…」と答えると「それは何よりですね!良かった!」と勝手に結論づけられるんですよね。

そう聞いてくる人も別に悪気はないんでしょうけど、私という個人が辛いことは殆どの場合スルーされて、赤ちゃんが順調であればそれが全てといった風になることにひどく違和感を感じました。

自分がお腹の子に占領されるような、自分が透明になってしまったようなそんな感じ。お腹の子を守るためなら、順調に生かすためなら、外側の人間の辛さはどうでもいい、耐える以外にない。妊婦なら、母親なら当然耐えて当然、赤ちゃんの喜びが外側の人間の喜び、赤ちゃんの健康が外側の人間の健康。そこに境界はまったくないんですよ…。

 

そりゃあ、赤ちゃんが順調なのはすごく嬉しいことで、つわりの期間、お腹の子がモキュモキュ動くエコー映像に何度胸を熱くしたか、支えられたか知れません。でも、それで毎日の体調不良や吐き気がゼロになるわけではなく、辛いもんは辛いんですよ。全然別の話で、両立するんですよね…。

これって、母性神話の一種なんじゃないかなあと思います。ものすごく無意識にまわりから受けるほんの小さなことではあるんですけど、千と千尋の神隠しで湯婆婆が「今日からお前は千だ」と千尋の名前を奪う場面のような感じです。

 

「みどりというのかい?贅沢な名だね。今からお前の名前は母親だ。いいかい、母親だよ。分かったら返事をするんだ、母親!」